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土佐の歴史の陰の部分がうかがい知れる杜 ~ブロッコリーのもり②【後編:赤岡→野市】~

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県民も意外に知らない元祖『33番地』!?

香我美から香宗川を越え、赤岡の商店街へ。赤岡は古い建造物や文化財、個性的なカフェなどポタリングのしがいがある町です。

レンガ積みの塀のすぐ近くにあったのが伊能忠敬緯度観測記念碑伊能忠敬といえば人工衛星も飛行機もなかった時代に徒歩と船でひたすら測量し、ほぼ正確な日本地図作成を成し遂げた有名な歴史の偉人です。

北緯33度33分の地点(元々は先ほど触れたレンガ積みのお屋敷あたりに)杭を打ち付けていたらしいですが、のちに紆余曲折あってこのように整備されたとの事。

東経133度33分33秒、北緯33度33分33秒の地点に地球33番地として高知市内の江ノ口川に記念碑があるのは、高知県民には割と有名なのですが、ここはさしづめ元祖33番地といったところでしょうか?

またまた、大きく目立つ一の鳥居に誘われて

立山神社一の鳥居

赤岡の町を北上しさらに国道に沿って西へとペダルを漕ぎ進めると、消防署の脇に大きな鳥居が。

『立山神社』と刻まれております。ちょうど予定の場所と方角が近いので少し坂になった農道を北上してみました。

立山神社二の鳥居
立山神社境内

香南市野市町の立山神社は国之常立神、立山神(地元の豪族立山氏の祖神との事)を祭神とし、毎年11月には獅子舞と共に棒術も奉納される神社です。

関ヶ原の合戦で敗れた豊臣方についていた戦国武将の長宗我部氏は大河ドラマでも取り上げられて有名ですよね。

長宗我部氏に仕え、現香南市や香美市一帯を治めていた香宗我部氏の遺臣たちが徳川方の山内氏が土佐に来た時、武器を取り上げられる事などに反発して鍬の柄を武器とするための武芸を磨いた事が、この棒術の由来だそうです。

これから行く目的地もその香宗我部氏と縁が深い場所なので、何か呼ばれていたのかも…

目的地、御墓所に

立山神社からさらに西に。目的地が見えてきました。

今回のブロッコリーのもり香美神社、または御墓所(おみせ、と読みます)という史跡。

およそ神社らしくない(正面の鳥居や社殿がない)外観なのは、昭和34年に火災で焼失したから。森の中央に建てられた石塔に香美神社の銘が刻まれているのが、辛うじてここが神社の敷地だと気づかせてくれます。

画像の案内板にもあるように、ここは香宗我部秀通(と殉死した家臣達)の墓所でもあります。

少しこの秀通が実兄親秀に襲撃され自刃させられた経緯を補足。

香宗我部氏は近隣の豪族、安芸氏とかの長宗我部氏との勢力争いの中、安芸氏との戦で親秀の嫡子、秀義をはじめ多くの家臣を亡くしてしまいます。

そこで当主の親秀は長宗我部氏から養子をもらい長宗我部氏と縁を結ぶ事で、この窮地を脱する事に決めました。

が、弟の秀通からすれば自分や自分の子供達を差し置いて他家から養子を呼び後継者に立てられるのは我慢ならず反対。やむを得ず親秀は秀通を謀殺。

こうして長宗我部国親の三男親泰(つまりかの有名武将長宗我部元親の実弟)を迎え入れ、香宗我部氏は長宗我部氏の右腕的存在として四国平定を成し遂げた…という流れです。

弟を手にかけた親秀はこの事を深く悔いこの地に厚く弔い、また後継者となった香宗我部親泰は亡き秀通の娘を妻に迎えるとともに、隠れ住んでいた秀通の息子をも呼び寄せ、新しく中山田家を立てさせ、重用したとされています。

ご神木といったところでしょうか…木を強調するあまり変なカットになっておりますが、後から調べるとこの下の石塔が秀通公のお墓だったかと。

この画像の武田秀山という方は陸軍少将を務められ、秀通の子孫にあたり生前ご先祖を崇敬しており、自分が死した時は秀通の眠るこの地に弔ってほしいと願い、ここに葬られたそうです。

戦国時代には、血の繋がった兄弟や親子が家を存続させるために政略結婚の道具にしたり、あるいは争いの末に手をかける事も珍しくはなかったのですが、その歴史の陰がこの鎮守の杜に眠っていると知ると、木々のざわめきやここから望める平和そのものの田園風景も趣深く感じます。

帰りも気になる神社が次々…

今回は車載でのポタリングだったので、車を夜須の有料駐車場に停めてあったのですが、気がつくと結構急がないと駐車場が閉まる時間が…

慌てて帰路につきます。

鉄道での輪行なら、ここから帰るのもありでしたが…

化粧地蔵さんもスルーはできません。挨拶だけでも!

美宜子神社(みきこじんじゃ)は、この地に丸太でくりぬいた船に乗って流れ着いた高貴な姫君(美宜子姫と名乗ったとされる)が地元の人々に手厚く看護されるも力尽き、それを哀れに思い神として祀ったという謂れのある神社。

一方、こちらは御神母神社(おいげじんじゃ)。ここ香南市の北、香美市に神母ノ木(いげのき)という地区があるのですが、そこにも神母神社という所があります。

そこに祀られている保食神(うけもちのかみ)は高知でおいげ様という名でご年配の方には知られています。高知にはあちこちに神母神社、またはそれに類するおいげ様をお祀りした神社があります。

日本書紀では保食神は口から食べ物を出してくれる神様で、月読命(つくよみのみこと)に斬られた屍体からは牛や馬、麦など五穀が生じたと伝えられます。

高知は山や田畑も多く、人々は五穀豊穣をおいげ様に祈ったのでしょうね。(他県で五穀豊穣の神とされるおいなりさんを祀る稲荷神社は高知では少ないです。とはいえ、この御神母神社からそう遠くない場所にも稲荷神社はありますが)

日も陰ってきました!

ここで前回に続き、またもやしまらない話を…。

なんとかギリギリで駐車場から車を出そうとした時、駐車券を失くした事に気づきパニックに!(その為、サイクリングナビ切るの忘れたくらい…)

係員さんに事情を話し超過料金(といっても大した料金ではありませんが)込みで無事帰る事ができました。

券はなぜか後部座席に放置されていた事が後から判明(汗)。ちゃんと帰りの段取りも考えて指差し確認してポタリングに出かけましょう、という教訓を得ました。やれやれです。

目的地の鎮守の杜

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